「自分の専門外の役割について勇気を持って受け入れて、戦術面で与えられた役割を見事にこなした。そのご褒美としてゴールが生まれた」
と称賛。

「試合は巨人“ゴリアテ”の役割をカメルーンが、小柄な“ダビデ”の役割を日本が担っていた構図」

「本田がこれで舞い上がって“ゴリアテ”になったと勘違いをしてはいけない。新聞の1面がすべて本田だったら、日本は危ない」

オシム元監督、大好きです。以前監督時代に公開されていた練習でも、練習の内容よりも、意図、意味を理解した上で動かせる。ここ数日は同じだが、言われた練習をやるだけではなく、意味を理解しながら工夫したり考えたり、もしくはルールの枠を超えてみたり、そういったことがとても大切である。


私の勝手な想像で申し訳ないが、このコメントはオシム元監督が本田選手に投げかけたものなのだろうか。たぬ吉はどうしてもそう思えない。
本田選手の言動、行動、結果を見ても、マスコミに踊らされたり持ち上げられたりする事にそう影響する選手だとは思えない。むしろこれは大舞台に慣れていない他の選手や日本のマスコミ、そして日本のサポーターに対して向けたメッセージなのではないだろうか。

よくよく考えてみれば、チリの攻撃的なサッカーの詰めるポイントを変えたのが日本のカメルーン戦だったように感じる。高い位置でのプレスをかけていたチリに対し、中盤ちょっと後ろできっちりとその仕事をした日本。もちろん攻撃に直結はしないが、カメルーンの攻撃の芽を摘むことに成功した。

だが、そのプレスをできなくなった時間帯が後半終了15分前である。選手のプレッシャー、疲労等と書いたが、精神面からすれば「勝ちを意識してしまった」ことによって足が動かなくなった可能性もある。オシム氏はこれを大きく指摘しているのかもしれない。

勝ちを意識する、引き分けを意識する、負けを意識する、私はこれらの思考に陥った途端ベストパフォーマンスに遠ざかると思う。終わっていないのにそれを想像してしまえば、精神的には相当のマイナスであると考えている。勝てる、負ける、ではなく、「勝つ」「引き分ける」(負けはどちらにしてもよろしくないが)というように、未来の目標に向かって戦わなければならない。未来を予想してしまった瞬間が、終了15分前だと思われる。一気に疲労が噴出し足が動かなくなる。

これを選手に想像させてしまうのが、日本のマスコミであったり日本のサポーターなのではないだろうか。期待が多ければ多いほど、目標から未来予想となり、そうなればイメージ的に大打撃を受ける。カメルーン戦は期待が少ない分その予想イメージは少なく、むしろいい結果への執着が勝ったおかげの勝利だった。

この期待を掻き立ててしまうのがマスゴミである。オランダは強いが引き分けは可能だ、とか、万が一勝ちもありえる、とか、もう正直どうでもいい。もちろん負けを意識させてもしょうがないが、勝てるように書くのではなく、勝つ気持ちを全面にだすように、全員が前に向けるように書けないのだろうか。

オランダは強い。サポーターは是非とも、期待ではなく、勝ち点を奪えるように一緒に戦って欲しい。結果はホイッスルが鳴らなければわからないのだから。



とちょっとかっこよく(?)締めてみたが、バドミントンでも同じである。目標を持つ事と勝利を確信することはまったく別である。2ゲーム取るまで試合は終わらない。終了の瞬間まで勝利は、目指さなければならない。期待、確信してはならない。選手も、指導者も、応援も、、、