勢いで取るしかなかった、はず。




園 田 啓 悟
嘉 村 健 士
(トナミ運輸)
21-19
17-21
12-21
GOH V Shem
TAN Wee Kiong
(マレーシア)

同じトナミというだけあって、平田米というペアとゲーム練習をさせてもらったことを今でも思い出します。本当に遊びで。何故か1ゲーム取れたんですが、それがまさにこの試合と同じような現象なんじゃなかったかと思っています。

レベル差。これを園田嘉村がどれだけ感じていたかわかりません。舛田コーチ、朴監督がどう感じていたのかわかりませんが、私が見る限りでは、勝てる相手では無かった、と確信しながらゲームを見ていました。

マレーシアペアの安定感は素晴らしく、園田嘉村のアタックもまったく乱れることなく、プレー自体に粗さが感じられません。余裕からくるものでしょう。焦りが無ければミスもなくなり、自滅した方が負ける。攻めている園田嘉村はそのリスクと向き合いながら攻めていく事になります。

この安定を崩したのは、「勢い」としか言えません。精神論をいまだに信仰しているたぬ吉にとってはまさにそれ。ここで勢いの元となっていたのは、明らかに「嘉村の声」でした。嘉村のアタック時の声は精神的な動揺を生みます。簡単に言えば、イライラするのです。卑怯?反則?いえいえ、使えるものは何でも使う、声を出して何が悪いのですか。昔テニスのシャラポアにも同じような話がありました。声で打球音が聞こえない、卑怯だ。結局スルーされたのは、悪い事はしていないということ。自信を持ってプレーすれば、その行動に後ろめたい気持ちが無ければ、声を張り上げるということは決してルールに妨げられるものではありません。

嘉村の気合の入ったアタックは、良い意味でも園田の安定感を潰しました。冷静にみると園田のプレーは嘉村よりもきっちりしっかりと打ちこんでいました。その安定感すら潰し、躍動感あふれるダブルスに仕立て上げたのは、嘉村なんです。スマッシュが多少浮いても気合が入っていればなんとかできる、事実、浮いたスマッシュに対応できなかったのはマレーシアペア。浮き玉を見逃すレベルではないはずなのに、相手の安定を崩したのは、技術でもなんでもない、「勢い」なんです。

ただ、残念な事に2ゲーム最後までは続きませんでした。嘉村の声が止まる場面が増えると途端に失速しはじめます。ファイナルの点差はそれを如実に表しています。意図的に嘉村にシャトルを上げなかったのではないか、そんな憶測すら飛び出すほど、嘉村の声は聞こえなくなっていきました。本当にシャトルが回ってこなかったのか、もしくは疲労なのかはわかりませんが、勢いを消されれば、実力通りのラリーが続いてしまうのです。
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「声」「気合」はレベルを上げる最終手段と言えるかもしれません。技術を1日で身につける事は難しくても、声を張り上げる事はその気になれば試合始ってからでも遅くはありません。声が出せる精神状態でゲームできること、それの重要性を、精神論者のたぬ吉としてはもっと考えなければいけないと思っています。
技術では劣っていても、勝てるチャンスはあった、園田嘉村はその魅力を備えていた、そう考えています。