今日の朝に少しTwitterで話があがったもので、私なりの見解をまたまとめておこうと思います。


「対戦相手にマナーを求めてもしょうがない」



これが大前提。対戦相手がルール違反をしているなら話は別ですが、態度やマナーが悪いのであれば、自分がプレーしやすくするための感情のコントロールが必要なわけで、相手にイライラしてしまっては、それこそ相手の思い通りになってしまいます。自分のプレーに集中できるように、普段からその準備をしていてほしい。



これを踏まえて、バドミントンのマナーについて考えをまとめたいと思います。
マナーとは、結局のところ、自分がどう思うか、相手がどう思うか、によります。多様性という言葉の通り、何が気に入らなくて、何が褒められて、なんていうのはそれこそ十人十色といってもいいでしょう。つまり、決まりが無いのにマナーを求める、というのは、正解がないところで正解に向かえと指示するようなもの。そう、正解がない。

これの例として、「ウェアのすそは、パンツに入れなければいけない」というもの。これ、遂に小学生もルール化されています。ルール化されているので「シャツインしなければいけない」。けれど、高校、大学、社会人、レディースには無いルール。小中学生だけのルールなんです。

ルールだから守らなければいけないけど、それが高校生になると解除される。不思議、としか言えません。そもそもバドミントンウェアなんて、シャツイン用には作られていないわけで。特にレディースウェアは出して見栄えよくなるようにできています。それを、入れろ、と。


おそらくですが、この例はマナーがルール化してしまったものなんじゃないかと思っています。だらしがないと思う人が多くいれば、それが許されなくなります。でも、強制じゃない、おかしい、じゃあルールにしてしまおう、と。本当のところはわかりませんが、理不尽な校則、ルールはこんなところからできているんじゃないかと考えてしまいます。


今、おかしいな?態度悪いな?マナー悪いな?と思う事、まずは自分とは違う目線で見る必要があると考えています。他の人から見たらどう見えるのだろう。これってあまり悪い行動ではないんじゃないだろうか?そう考える事で、少しイライラが落ち着いてくるとは思うのですがどうでしょうか。


実はここまでが前置き。
ここから本編。


私がジュニア選手を指導していくうえで、必ず話す事があります。それは、

「相手がいるから、練習ができている。相手がいるから、試合ができている」

その相手がいなくなれば、今バドミントンをする事ができないのです。少なからず、好きでやっているバドミントンができなくなる状況、まさしくコロナ禍の今がそうの状況ですが、相手がいなくてもバドミントンはできません。

相手を倒す、その気持ちは絶対忘れてはいけませんが、その相手がいなくてはバドミントンはできないのです。ラリーで全力を出してプレーして、他では相手に感謝して、そうやって相手と自分とやりとりしながらゲームを進める事ができる、そんな気持ちをもちながらプレーできる選手になってほしいと願っています。


マナーの手法なんて、実はどうでもいいと思っています。ネットの下からシャトルを渡したって気持ちは伝わるし、ネットの上からでも攻撃的に渡しては意味がありません。相手に気持ちが伝わるような行動を考えてプレーできているとしたら、目の前に落ちている羽根をスルーしたり、相手に強く羽根を打ち返して渡すなんて行動にはならない、と思っています(これは私の主観ではありますが)。

今のトップ選手の動画を見て、プレーは真似をして、それ以外は自分の信念を軸にできるような、そんな選手が多く育ってくれるといいなぁ。